ゲームを やめてくれたなら 🎮
みなさんこんにちは。
足立区 花畑にある
音楽&学習 教室
〈アンダンティーノ〉の中西です。
学習教室のお話をいたします。
これは クッキーの空き缶です。
以前 ゲーム機を手離せない子がいました。
いつも カバンにゲームがはいっていて、
教室にも持ち込んでしまいます。
私は いろいろ考えて
「大切なものだからね」と言って
クッキーの缶に
ゲーム機をしまって
帰りまで
玄関の飾り棚に置いておく
というルールを決めました。
少し 「多動」の傾向がありましたので、
お勉強していても
椅子に立ち上がってしまいます。
その子は
「学校の椅子にじっと座ってると
ぼく 気持ち悪くなっちゃうの」
と 話していました。
私は椅子に立ち上がったまま
足踏みをしたりする時は
その子が落ちないように
気を配りつつ
それも 二人で 楽しみながら
算数の足し算のくりあがりを
練習した記憶があります。
(それから4年後には
すっかり落ちついて
勉強できるようになっていました。)
私は 当時
その子が
ゲームを持ってくることを
否定したり
ゲームで遊ぶことを悪いことと
言わないように気をつけました。
自分の心の拠り所にしているものを
否定されたら その子が
不安に感じるかもしれないからです。
けれど
ゲームのことを
連想させない
出来れば
全く思い出さない環境で
静かに落ち着いて
何かに 没頭できる時間を
大人が 手助けして
増やしてあげることは
必要だな、と感じました。
それで、取り敢えず
カバンから出して
距離を置くために
クッキーの缶を
用意したのです。
家に帰る時
玄関で大切なゲーム機を
カバンにしまって
さよならをします。
(そのうち それが面倒になったのか
いつの日か
持って来なくなりました。)
お家に帰って
一人になったら
きっとゲームを始めてしまうのだろうなぁ、
と 思いましたが
お留守番の寂しさや
学校での集団生活が
心身にストレスを与えているなら
やはり その子にとって
ゲームは 自分のほっとできる
時間をくれる存在なのだろう
と感じます。
よく帰りの通勤電車の中で
スマホのゲームを
やっている大人の方がいます。
疲れて何も考えたくないとき
ゲームをやっていたい気分に
なるとしたら その 気持ちは
子どもも大人も
同じではないでしょうか。
私は 家でも 学校でもない
また 他の場所とも違う
静かで 何も思い出さない場所。
ただひたすら
「音楽や学習の取り組みをとおして自分自身と向き合う時間と場所」
を この教室で生徒に体感して
もらいたい。
その事をいつも考えております。
その子が楽しんでいる
ゲームを否定したり
ゲーム機を
取り上げるのではなく
ゲームの向こう側には
システム化されていない
人間の知恵の及ばない
未知の世界が
無限に存在することを
少しずつ知って行けばよいと
そう思うのですが
みなさんは どうお考えでしょうか。
それでは また ♪
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